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身近な暮しを書きとめるノートです。
by lykkelig
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椿姫とヴェルディの人生

椿姫は、その時代にヴェルディが書いた他のオペラとあまりに異なる。

私は、そこに、2番目の伴侶ジュゼッピーナ・ストレッポーニの強い影響・貢献があったと思えてならない。ヴェルディが「私の家にはひとりの自由で自立した女性が住んでいます」と、私信で書いた女性である。二人は当時としては、因習やしきたりに反した生活を送っていた。時代や周囲が許さなかった、そうした生活において、二人の親密性はいやがおうにも高まる。ジュゼッピーナ・ストレッポーニがヴェルディの「椿姫」の創作に果たした役割は大きいと思う。

昨日、ヴェルディが、最初の妻の父親Antonio Barezziにあてた手紙を読んだ。この手紙から、私は仮説をますます強く思うようになった。

ヴェルディの最初の妻は1840年に亡くなっているので、その12年後に書かれたものだ。最初の妻の父親は、若き日のヴェルディの最大の後援者だったという。下記を引用した本『ヴェルディ 椿姫』によれば、2番目の伴侶「ジュゼッピーナ・ストレッポーニに対して非常な不信感を抱いていたが、これはなかんずく、ヴェルディが何年も(1859年まで)結婚という形をとらずに彼女と暮らしていたためであった」と記されている。

『ヴェルディ 椿姫』の年譜には、デュマの芝居「椿を持つ女」は、1852年2月のパリで初演、と記されている。ヴェルディはジュゼッピーナと一緒に観たという。「それも初日を観たらしい」とも書かれている。義父に下の手紙を書いた直後である。

イタリアの音楽学者マッシモ・ミーラの評論の次の一言も私の仮説を勇気づける。
「社会的慣習にさしたる好意をもったことのないヴェルディは、デュマの『椿を持つ女』の悲しみに満ちた情事の中に社会に対する激しい告発を見た。愛を犠牲にするという胸の張り裂けるような決心をしかけたヴィオレッタに、ヴェルディはこういわせている <むかしおちこんだ不幸からぬけ出すのぞみは、こうして失われてしまったのだわ!・・・>」


「パリにて、1852年1月21日

親愛なるお義父さん、

長々と待ったあげくに、あれほど冷淡なお手紙をいただこうとは夢にも思いませんでした。それに私のとりちがえでなければ、ずいぶんと侮辱的なところがあります。あの手紙に私の恩人であるアントニオ・バレッツィの署名がなければ、こちらかもひどい返事を書いていたか、あるいはまったく返事を出さないかのどちらかだったでしょう。でも、今も敬意を払わねばならない人の名前があったのでこうしてペンをとりました。できることなら、あれほど非難されるようなことはなにひとつしていないことをわかっていただきたいのです。

そのためには過去にさかのぼってお話ししなければなりません。それも一見なんの関係もなさそうに思えること、私たちが住んでいる土地の土地柄というものについてお話しなければならないのです。そういうわけで長い手紙になりそうです。うんざりなさるかもしれませんが、できるだけ短くまとめてみましょう。

私を怒らせるだけだとわかっておられたはずのあんな手紙を、あなたが自発的に書かれたとはとても思えません。でも、あなたが住んでおられる環境には、他人のことにしょっちゅう首をつっこんで、自分の見方にそぐわないことはなんでも非難するという困った風習があります。けれども私のほうは、頼まれでもしないかぎり、他人のことには口をはさまないことにしているのです。そのかわり、私自身のことにも干渉しないでもらいたいと思っています。それだからこそ、流言蜚語がとびかい、非難されることになるのでしょう。礼節が重んじられているとはいいがたい土地でも一応は尊重されている行動の自由というものを、私も自分の正当な権利としてこの土地で要求するつもりです。

どうかあなた自身が裁く者となってください。裁く者として厳しくなさってください。ただ、感情に走らずに冷静であっていただきたいのです。私がひきこもってしまったからといって、肩書のある人を決して訪問しなくなったからといって、それがどれほど不幸だというのでしょう。パーティをはじめ他の人々の楽しみに参加しないようになったからどうなのです? 自分の地所が気にっていて、気晴らしにもなるので自分できりまわしているからどうなのです? もう一度申し上げます。そのどこが不幸なのでしょうか? こうして暮していても、誰にも決して迷惑はかけてはいません・・・

これで私の考え、私の行動、私の意志、私の生活、そして私のいわゆる表向きの生活はすべてお話しました。この際すべてを腹蔵なく話そうと思っていますから、我が家の秘密を覆いかくしているヴェールを上げることも、家庭生活をお話することも平気です。かくさなければならないことはなにひとつありません。

私の家にはひとりの自由で自立した女性が住んでいます。私同様に孤独を愛し、どんなことが起こっても自分の身を守るだけの財産を持った女性です。私も彼女も他人に弁明しなければならないような行為はしていません。

しかし一方では、私たちの関係など、私たちの行動など、誰の知ったことかといいたいのです。私たちの結びつきがどうだというのです? 私の彼女に対する権利と彼女の私に対する権利、彼女が私の妻であるかないかなど誰の知ったことでしょう? こうした特殊な状態におちつくことになった理由や、それについて私たちがなにも知らせたくないと考えるに至った事情など誰がわかるのでしょうか? それがよいか悪いか誰が知っているというのでしょうか? どうしてよいことではありえないのですか? それにたとえなにか悪いことがあったとしても、私たちを破門にする権利が誰にあるというのでしょうか? 

それどころか、私は彼女がこの家にいる限り、私に対すると同じだけの、いや、それ以上の敬意を受けてしかるべきだと言いたいのです。誰がどんな口実をもちだそうとも、こればかりは譲れません。それに私がこんなことをいうまでもなく、あの態度からしても、知性からしても、また誰に対しても示す好意からしても、彼女は敬意を払われて当然な女性なのです・・・・

長々と書きましたが・・・・(略)

それでは、どうぞお元気で。以前に変わらぬ友情をこめて・・・

G.ヴェルディ」 

(「アントニオ・バレッツィにあてたヴェルディの書簡」、音楽之友社『ヴェルディ 椿姫』p229-231より)
by lykkelig | 2009-06-10 14:43 | 趣味、余暇
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